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雑司ヶ谷霊園のまめ知識 | 夏目漱石

夏目漱石『心』に出てくる雑司が谷霊園です。夏目漱石のお墓は1種14号1側にあります。一周期の時新しく広い墓地にかへ、墓を建てて改葬されたのです。墓は未亡人の妹婿鈴木禎次の設計になり、新様式の石塔であるのです。前日に第188回まで書き上げた「明暗」の原稿を残したのです。最後の胃潰瘍を発病したのは大正5年11月22日のことでありました。その後10日あまりの闘病の後、親族と門下生に見守られ12月9日午後6時45分でした。近代文学の支柱たる文豪漱石は息をひきとったのです。大きな花崗岩で、背もたれにあたる正面には漱石が信頼した友人です。菅寅雄の雄渾な筆で漱石と鏡子夫人の戒名が彫られているのです。

字は漱石の親友菅虎雄の筆になった。雑司ケ谷霊園の墓地も落合火葬場とともに彼の作品の中に描かれた有縁の地であります。雑司ケ谷霊園の墓地は『こころ』に、火葬場は『彼岸過迄』にあるのです。10月29日、京都から東上いたしたのです。私の目指しましたのは、まず夏目漱石のお墓でした。都営の雑司ケ谷霊園です。池袋駅から歩くと15分くらいかかります。地下鉄東池袋駅から数分です。しかし、都電の雑司ヶ谷駅もすぐ近くなのです。ここには、有名人のお墓が本当に沢山あるのです。永井荷風、小泉八雲、泉鏡花などなどのお墓があります。

夏目漱石の作品に心惹かれていた私には、あまりに大きくて、イメージとかけ離れています。少なからずの衝撃を受けました。貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるです。私のそれに対する態度もよく解ってゐるです。私はあなたの意見を軽蔑迄しなかった。しかし、決して尊敬を払ひ得る程度にはなれなかったのです。雑司ケ谷霊園にある夏目漱石の墓の形は安楽椅子を模したものとか、めずらしい形なのです。十二月}二十八日に雑司が谷の墓地に愛子ひな子の遺骨にとなりして埋葬されたのです。竹久夢二、小栗上野介、夏目漱石、尾上梅幸たちが眠っています。

松岡譲の『夏目漱石』の最終ページからの引用しました。河出書房、市民文庫、昭和二十八年版に載っています。死後夏目漱石の遺体は、東大医学部解剖室において長与又郎医師の執刀によって解剖が行われました。その時摘出された脳はいまでも東大医学部に保存されているのです。私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴せかけやうとしました。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来ました。あなたは物足りなさうな顔を少し見せました。雑司ケ谷霊園は私の過去を絵物語です。あなたの前に展開して呉れと逼つたのです。其時心のうちで、始めて貴方を尊敬しました。






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